人気の写真家・川内倫子さんの国内の美術館では6年ぶりとなる大規模個展、「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」展が東京オペラシティアートギャラリーで開催されています(12月18日まで)。見る者を世界の深遠へと誘う作品の数々で多くのファンを集めています。その印象的な展覧会の“演出家”ともいうべき会場構成を担当した建築家・中山英之さんにインタビューしました。美術館を歩いているだけでは気づかない、様々な工夫に驚かされます。読めば足を運びたくなり、鑑賞済みの方もリピートしたくなるお話です。(美術展ナビ編集班 岡部匡志)
中山英之さん 建築家。1972年福岡県生まれ。1998年東京藝術大学建築学科卒業。2000年同大学院修士課程修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て、2007年中山英之建築設計事務所を設立。2014年より東京藝術大学准教授。展覧会の会場構成はポーラ美術館「モネー光の中に」、東京都庭園美術館「ルネ・ラリック リミックス」、東京都渋谷公園通りギャラリー「語りの複数性」など担当。(注・この記事の最後に、中山さんが手掛けた他の展覧会の記事も合わせて紹介しています)
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「写真集6冊分になる展示を」とリクエスト
Q そもそも今回の仕事のきっかけは。
A 川内さんからのご指名でした。川内さんとは昨年、東京都渋谷公園通りギャラリーで開催された「語りの複数性」展で、出展アーティストの一人と、会場構成者という立場で初めてご一緒しました。そこでの私たちの仕事を気に入ってくれたそうです。川内さんとは同年代で、デビューされたときからずっと活躍を遠くから眺めていた写真家ですから、こういう形でご一緒できてうれしかったです。
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Q 川内さんからはどういう依頼がありましたか。
A 「写真集にすると6冊分ぐらいを展示したい」「アンソロジーにもなるが、単なる回顧展ではなく、新作の〈M/E〉を中心にしつつ、これまでの仕事との関係性を空間化したい」ということでした。「写真集」はそれぞれに固有の世界があります。それから、当然ながら壁にかけた写真が展示の中心なので、一定以上の長さの壁が必要。さらに音や映像もとなると、壁を大幅に新設する必要がありました。同時に、高騰している資材や展示後の廃棄を抑えるために、できる限り会場備え付けの可動間仕切りや専門業者がストックしている規格パネルを生かしたい。変化し続ける光の一瞬を捕らえる川内さんの写真を想像すると、外光を取り入れることができる場所はできるだけ大事にしたい。そうした様々な条件や事情を何度も行き来しながら、構成や配置を考えていきました。
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本を作るように空間を作る極意
Q パズルのようですね。
A 会場の上から見た俯瞰図(↓)を見ていただくと分かるのですが、経路は大変に複雑なのに対して、実はそれぞれの部屋やシンプルな対称形を基本としています。先ほど「写真集にして6冊の異なる世界」と表現したとおり、私たちもどこか「本を作るように」会場構成を考えていたような感覚がありました。本のかたちも対称形が基本になっていますよね。それから、ページをめくるにつれてだんだんと集中していくと、本の存在自体は意識から遠のいて、透明になっていく。本は手触りやめくり心地を考えて素材を選ぶし、判形とレイアウトは置かれる字や図と密接に関係があります。けれども、そこに込められた思考というのは、実は読者が本が本であることを忘れてしまう時間のためにあるものです。私たちもそんなふうに作られた質感や形が全く異なる本たちを、1冊1冊そっと開いていくような空間と体験を作りたかったのです。
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Q 歩いてたら気づかないですね。中山さんはどういう会場構成をしたのだろう、と気にしながら見ていたのに、作品にいつの間にか集中していました。
A そうだとしたら会場構成としては成功でしたね。
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無意識の状態をこっそりと支える工夫
Q 上から光が入ってくるところなど、教会のようでした。
A ある種の空間のプロポーションが、身体の奥にある記憶に働きかけることがあります。光のあり方なども、「これ、どこかで経験したことがある」といった感覚をふと呼び覚ますのですね。ただ、それらが意識される対象としてではなくあることが、私たちにとっては大切なんです。例えば大人になって久しぶりに『岩波少年文庫』を手に取ってみると、重さと手触りだけで記憶がフラッシュバックするようなことって、誰にもありますね。でも、持った時に「重さと手触りで記憶がフラッシュバックした」なんて意識は特段していない。身体全体がいっぺんに了解してい、文字を追いはじめると透明な記憶だけがすっとそこに寄り添う。それと同じように、無意識の状態をこっそりと支え、歩く先々で記憶を呼び覚ましていくような空間を作りたかったのです。
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全長170メートルのカーテン
Q メインの展示が川内さんの新シリーズの〈M/E〉。とりわけ印象的なスペースでした。会場の中央に設置されたカーテンみたいな不思議な構造物が目を引きました。
A 実はあのカーテン、一枚なんですよ。広げると170メートルあります。天井から金属のレールを介して吊られています。
Q えっ!1枚の布なんですか。しかも170メートルとは超長大ですね。
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A はじめに川内さんから、会場の真ん中にトンネルのような場所を作りたい、というリクエストがありました。タイトルの〈M/E〉は「母なる大地(Mother Earth)」の頭文字でもあり、同時に「私(Me)」でもある。シリーズにはアイスランドの巨大な噴火口に降り立った写真があります。またご本人が出産を経験されたことも、深層に大きな影響を及ぼしています。「トンネル」と言われたことには、地球の内側に包まれるような感覚と、お母さんのスカートの中に潜り込むような感覚が重ね合わせられているのかもしれないと思いました。
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Q たくさんの条件をクリアする必要があったようですね。
A 想像するのはからだの奥のひだのような、鍾乳洞のような何かですが、作るのは当然人工物です。また、両側の壁に掛けられた写真作品を分断してしまわないためにには、どことなく霧のような存在感であることも大切でした。巡回展ですから運搬性を考慮する必要があり、美術館の中ですから難燃性も求められます。こうした条件から、曲線のカーテンレールに吊ったテキスタイルの案が浮上しました。
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Q そうしてたどり着いたのが一枚のカーテンだったわけですね。
A はい、カーテンレールは薄いアルミ板なのですが、材料の自然な反発が描き出す、「弾性変形」と呼ばれる曲線で形づくられています。素材の勝手なふるまいに任せた形であることは、どこかで泡や結晶のような現象のミクロな構造に重なる一方で、外形は展示室に沿った矩形でありたい。そこで、実際のアルミ板と変形が相似となるプロポーションに切り出したヘアピンで仮留めしながら、最適なかたちを探り当てていきました。
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Q コンピューターで計算したほうが早そうな気もしますが。
A 物理演算プログラムでシミュレーションするフローもはじめに検討しましたが、机の上で同じ現象を指先を使いながら思考する方が遥かに効率的なんです。そしてなにより楽しい(笑)。
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Q そんなに手間がかかったものだったとは知らずに、「わ~、洞穴に入ったみたい」と無邪気に喜んでいました(笑)
A ひだの塊を気まぐれに掘ったようにトンネルを作っているのですが、その中にランダムに置かれた作品の正面に立つと、カーテンの稜線が対称形を描くようにしています。透けたカーテンの後ろの壁にある作品とも芯を共有しています。
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Q 全然、気づきませんでした。何気なく通り過ぎていく中に、様々な工夫が隠されていたのですね。
A 本のページに折れ目があると、急に本が本であることを思い出してしまいますよね。静かな対称形を忍び込ませておくことには、空間が空間であることを思い出さないようにする意図があるので、本当はここで言うべきではないですね(笑)
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川内さんの稀有な感覚に驚く
Q 展示全体を振り返っていかがでしょう。
A 川内さんの感覚に改めて驚いた、ということが一番ですね。川内さんとそのチームはそもそも、本をレイアウトするためのソフトを使って、展示壁のレイアウトも自前でやってしまえるんです。縮尺のある思考に慣れていないと展示空間のスケール感を把握するのは意外に難しくて、だから私たち建築家の出番となるわけです。展覧会のタイトルにもあらわれていますが、川内さんはミクロとマクロを同じようなまなざしで映し出すことができる作家だとよく言われますよね。ぼくはこれは作風の問題というよりも、川内さんの脳には、縮尺を自由に行き来する回路があらかじめ備わっているのではないかな、と。だから、今回の会場構成の大事な部分を決めているのは、川内さんと私たちのどちらとも言えない感じなんですよね。私たち建築家が長い時間をかけて徐々に会得する感覚のようなものを、ごく自然に備えられている。そういう視点で会場を歩くと、また違う見方に気づくことがあるかもしれませんね。
川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり |
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会場:東京オペラシティ アートギャラリー |
会期:2022年10月8日(土)~12月18日(日) |
休館日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日) |
開催時間 11:00~19:00 ※入場は18:30まで |
観覧料:一般1200円 大・高生800円 |
企画:瀧上華(東京オペラシティアートギャラリー キュレーター) |
主催:公益財団法人 東京オペラシティ文化財団、朝日新聞社 |
詳しくは展覧会公式サイトで |
巡回情報:2023年1月21日(土)~3月26日(日)滋賀県立美術館 |
■建築概要 |
「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」展 会場構成 |
設計:中山英之建築設計事務所(中山英之、三島香子、川本稜、野村健太郎、鳥海沙織、中川貴秀) |
設計協力:甲斐貴大/studio arche、堤有希 |
施工:東京スタデオ |
照明デザイン:サムサラ(立畑太陽) |
グラフィックデザイン:須山悠里 |
撮影:木奥恵三 |
延床面積:780㎡程度 |
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