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幻のドリンク「ネーポン」を甦らせた41歳の執念 - 東洋経済オンライン

一度は消えたが試作に試作を重ねて再現した

かつて関西で飲まれていた幻のドリンク「ネーポン」。製造中止になったネーポンを復活させたネーポン田中さんにこれまでの道のりを聞いた(筆者撮影)

これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむが神髄を紡ぐ連載の第76回。

皆さんは、「ネーポン」という飲み物をご存じだろうか?

兵庫県神戸市兵庫区にあった、有限会社ツルヤ食料品研究所が製造していた清涼飲料水だ。

駄菓子屋や喫茶店などに置かれるオレンジジュースの一種だが、そもそも関西でも知る人ぞ知るドリンクだった。

だが、「たけし・さんま世紀末特別番組!! 世界超偉人伝説」(日本テレビ)などのテレビ番組で取り上げられることにより、一気に全国的に有名になった。あくまで珍品としての人気だったが、味もおいしかったため人気は続いた。

1995年の阪神・淡路大震災で流通のダメージを受けたが、その後もなんとか販売を続けていた。しかし2007年に惜しまれつつも有限会社ツルヤ食料品研究所は廃業、ネーポンならびに同社の清涼飲料水の製造は終了した。

製造中止から12年、シロップとして復活

本当に幻のドリンクになってしまったネーポンだったのだが、なんと製造中止から実に12年経った2019年の1月、ネーポンシロップとして復活したのだ。

ネーポンを復活させたのはネーポン田中さん(41歳)だ。お名前はもちろんネーポンを作るための、活動ネームだ。

かつてのネーポンとは違う、4倍濃縮タイプになったが、ネーポンのロゴは正式に有限会社ツルヤ食料品研究所から受け継いだものだ。彼はなぜ、ネーポンを復活させることになったのか? その情熱はどこから来たのか?

大阪・日本橋の喫茶店で話を聞いた。

喫茶店に現れた田中さんは、実業家というタイプではなく、飄々(ひょうひょう)とした雰囲気の男性だった。

田中さんは、大阪府の八尾市に生まれた。父親は証券会社で働くサラリーマン、母親は専業主婦、というごく一般的な家に生まれた。

「図鑑とかよく買ってくれる親でした。そういうのを読む、まじめな子供だったと思います。小学校時代はちゃんと勉強もしてましたね」

成績はよかったが、スポーツはあまり得意ではなかった。それでもクラスの人気者だった。しかし、少し変わったところがあったのか、算数の先生からは「宇宙人」と呼ばれていた。

「先生にも気に入られていたんだと思うんですけどね。宇宙人の本が好きな先生で

『おまえはバルカン星から来たバルカン星人やな』

なんて言われてました」

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February 14, 2020 at 03:35AM
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